2014年9月19日金曜日

伝わるチカラ。伝えるコトバ。[上]

国語の授業で「この俳句は、この短歌は、この詩はこういう意味です」なんて教わった。
「意味」はそうかもしれないけれど、「内容」、つまり作者の思いはどうだろう。

見事に情景を切り取った俳句には、その場面を想起させる。でも「!」とか「?」といった書きたくなったそのときの思いは、どうなんだろう。

作者ははたしてその思いが伝わることを全面的に期待しているんだろうか。
なんとなくだけれども書きっぱなしというか、その先のことは考えないんじゃなかろうかと思う。恋の歌なんて、まさしく自己満足だろう。

感情を濃縮して凝縮してできあがった短い短い言葉。
まるでサプリメント――栄養満点でももはや元の食材は想像できない。

全部伝わるわけがない。
だから読む側は好き勝手に感動できるし、場合によってはきょとんとなることもある。

それでいい。
本当はだめなのかもしれないけれど、解釈なんてどうだっていい。受け取り方は読み手の自由だ。
言葉に限らず、“作品”と呼ばれるものたちは、そういうものなんじゃないかな。

勝手に意味不明だと嘆き、勝手に共感し、勝手に感動しているだけかもしれない。それが素敵なんだと。それがチカラなのだと。

「書きたい」思いがチカラとなって「伝わる」――なるほど。

小学校の国語の時間にそのことに気づいていれば、もう少し授業も楽しかったかもなー。作文は得意だったが、詩とか俳句とかからきしだったので(勝手な解釈してたら先生には嫌がられてたかもしれないが)。
僕はそのことに気づくのにン十年を要し、そして今、詩や短歌なんかに触れるのがちょっとおもしろいって思っている。

じゃあ逆に、「伝えたい」というケースではどうだろう。

・・・「短いコトバ」について書いてたつもりなのに、話が長~くなりそうなので、つづく、つもり。が、まだこの先は書いてない(^^;

月々に月見る月は多けれど月見る月はこの「次」の月
写真の粗さはカンベンしてね。雲に隠れた中秋の名月、その翌日は雲間に見えたスーパームーンだった、を詠む(^^;

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